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こと③中国政府内に日本人顧問を入れることなどを要求し、中国進出の足場を固めようとした。これに対して中国政府(中華民国袁世凱政権)は拒否の態度を示し、イギリス、フランス、ロシアといった連合国列強諸国に日本へ圧力をかけるよう要請した。しかし、それらの諸国は日本の思惑通りドイツとの戦争に力を注いでおり、同盟国日本との摩擦をさけるために、日本のこの態度を黙認した。日本政府は中国政府の拒否の態度に軍隊を派遣して脅迫した。孤立無援となった中国政府は仕方なくこの要求を受け入れるしかなかった。しかし、中国政府のこのような態度に怒ったのは中国民衆であった。中国各地で激しい抗日運動がわき起こった。この民衆の運動こそが、中国政府を倒し新たな人民中国を作り出すエネルギーとなり、以後の日本の中国侵略に対する民衆の抵抗運動として展開していくことになったのである。
コラム -------------------------------------------------------------------------------- 日本の第1次世界大戦参戦は、日英同盟を理由に行われたが、これは日本側の一方的な行為であった。同盟には日本の参戦を義務つける項目はなかったし、イギリス側は、むしろ、日本の参戦を控えるように要求していた。イギリスにとっても、ヨーロッパでの戦争がアジアにおける日本の侵略的野心を呼び起こすことは十分に警戒していた。これに対して、日本は「野心のないこと」をイギリスに対して再三表明し、参戦理由をアジア近海におけるドイツ戦艦から連合国艦船を守るためとか、中国のドイツ領を監視することによって、アジアの平和を守るためと称して参戦したのである。
ところがいざ参戦すると前言を翻し、中国のドイツ領を占領し、アジアの平和とは関係のない南洋諸島のドイツ領まで占領してしまった。イギリスの心配したことが起きてしまったのであるが、イギリスはこれを批判することができなかった。日本はさらに、新たにアジア進出をねらっていたアメリカと交渉し、日本がドイツから奪った地域の権益をアメリカに認めさせるとともに、アメリカに対して中国への進出を認めたのである。石井―ランシング協定がそれで、これによってアメリカは中国への足がかりをえると同時に、イギリスはアメリカ、日本を敵に回す上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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