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2-4 明治時代の終焉(明治とはどういう時代だったのか) 1912年、明治45年7月19日、明治天皇は病に倒れ、29日死亡した。61歳であった。幕末の動乱から明治維新の混乱、帝国憲法の制定、日清、日露の戦争と波瀾万丈の時代を生き続けた天皇であった。天皇崩御が伝えられると国内は歌舞音曲が自粛され、いっさいの催し物は延期された。マスコミは「悲しみを演出」し、政府は国民の天皇意識を鼓舞した。このようにして明治は終わりを告げていったのであるが、これを盛り上げたのが、日露戦争の英雄、乃木将軍の殉死であった。天皇の死後、綿々と続いた葬送の儀式が終わり、いよいよ棺が葬場に運ばれるというその日、9月13日、乃木将軍は自宅の2階で妻とともに自刃した。
乃木の死は、その遺書とともに翌日の新聞紙上に掲載された。この事件は明治を生きた日本人の精神を見事に表すことになった。乃木の死を「日本男児の見事な最後」と褒め称えたマスコミと知識人たちに対して、一方で「近代日本にあるまじき、前近代的蛮行」と非難する人たちがいたからである。明治という時代は、天皇を歴史の闇から引き出し、国民統合の装置として見事に復活させた時代であった。日本人は、その装置によって国家意識を自らの内に醸造した。それが明治天皇に対する尊敬の念である。明治の日本人にとって、明治天皇とは新生日本そのものであった。しかし、そのことを体現して見せた乃木の行為は、天皇の元に日本人が切り開いた近代日本のあるべき姿とは矛盾するものであった。 この矛盾こそが日本の近代社会がかかえる根本的矛盾として、昭和の敗戦まで引きずられるものになったのである。欧米列強という先進工業国の持つ近代社会への飛躍を目指していた日本が、その社会の根本的な装置として「前近代的天皇制」を持たざるを得なかったことの矛盾、いびつさ、これこそが近代日本の姿だったのであり、これこそが、明治の日本の本質なのである。この矛盾を見事に克服し、本当の意味での近代日本を作り上げたのがアメリカ占領軍司令官マッカーサーである。そのことを知り尽くしていた彼が最初に手をつけたのが象徴天皇制という新たな装置の作成だったのはこのためなのである。
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