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撃ったことは確かである。しかし、その弾丸が伊藤を倒したかは不明であった。だが、日本政府は安重根を暗殺者として裁き、処刑した。安重根は自らが暗殺者であったのかどうかについては、法廷ではいっさいふれなかった。彼は、ただ、日本の朝鮮支配の不当を訴え、その中心人物である伊藤博文の犯罪を弾劾した。彼があげた伊藤の罪状15は、まさに真実であり、当を得たものであった。また、彼が獄中で書きつづった「東洋平和論」は、東アジアの平和のためには日本、韓国、中国の連帯が必須であると説き、「同種の隣邦を剥害するものは、ついに独夫の患を免れることはできない」と書くことによって、日本がその後、世界で孤立し、その結果、国中を焦土としてしまった歴史を予見したのである。この大思想家を歴史にとどめることは東アジアに生きるものにとっては必然のことといってもよいのではないか。
コラム 安重根 -------------------------------------------------------------------------------- 伊藤博文暗殺の実行犯が安重根ではないとする説は以前からかなりあった。その根拠は安重根のいた位置と、伊藤を撃ち抜いた弾丸の方向が違ったからである。また、伊藤の体内に残った弾丸と安重根の持つピストルの弾丸が違うと言われているからである。当時の記録によると銃声は多数であり、安重根の発射した5発以上であったとされる。いったい誰が伊藤を射殺したのであろうか。謎は謎を呼ぶのであるが、当時の日本関係者の多くはこのことに気づいていた。しかし、彼らにとってそんなことはどうでもよかった。重要なのは朝鮮人、安重根が犯人であるということであった。
日本の大政治家、伊藤を殺したのが朝鮮人であるということが日本政府にとって重要だったのである。そして、その事実を持って続く韓国併合がなされたのである。つまり、日本にたてつく韓国は「消滅させた」ほうがよかったのである。だが、そのことによって真犯人かどうかわからない安重根を韓国の英雄にしてしまったことは、まさに歴史の皮肉としか言いようがないことであった。
2-3-3 韓国併合 1910年8月22日、「韓国併合に関する条約」が日韓の間に締結された。これを持って、朝鮮半島から韓国は消滅上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页
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