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2-2 明治の日本社会 2-2-1 大逆事件と足尾鉱毒事件 明治時代の日本社会は、文明開化に始まり、富国強兵政策による欧米列強に追いつき、追い越せが国民的ナショナリズムになり、日清、日露の戦争で、その意識は最高潮に達したが、その一方で自由民権運動のように、欧米社会の持つ、民主主義のシステムや人権思想が紹介され、その実現も目指された。国家主義的なイデオロギーと個人の権利の実現とが共存した一見矛盾した風潮が社会に流れた時代でもあった。これは新しい国づくりを目指した人々が、欧米の社会のさまざまなシステムや思想をすべて一度に吸収しようとしたからである。そのために、現代から見てもきわめて先進的な思想が現れたり、社会的行動が起きたりもした。その代表的な事件が大逆事件であり足尾鉱毒事件であった。
自由民権運動の限界は、欧米の革新思想であった社会主義思想によって乗り越えられた。それは自由民権運動が、結局は貧しく差別されていた人々の自由を求める声に応えることができなかったからである。自由民権運動の後期にはそのことを感じ取った人々の中に、階級的な矛盾を解決しなければならないとの主張も現れていた。そのことを知った民権運動の指導層は即座にそれを切り捨てようとした。自分たちの首が危なくなるからである。帝国憲法と帝国議会の成立と同時に民権運動は消滅したが、一方でこれらの人々は運動を進化させた。
それが、日本における社会主義運動の始まりと社会主義政党の成立であった。欧米の社会主義思想の影響を受けた人々、片山潜、安部磯雄、幸徳秋水、木下尚江、西川光二郎らは1901年、日本最初の社会主義政党「社会民主党」を結成した。その綱領のなかで、彼らは「人類平等」「軍備全廃」「階級制度廃止」「土地、資本の公有」「財産分配の公平」「参政権の平等」「教育の機会均等」を主張した。明治の日本社会にとっては極めて先進的内容であった。しかし、政府はこれを認めず、政党の結成を禁止し、綱領を発禁処分にした。明治政府にとってはとても受け入れることのできない内容であった。しかし、このことは日本のさまざまな人々に大きな影響を与えた。労働者たちは労働組合の結成を目指して運動を起こした。
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