|
|
|
|
2 明治国家の成立と東アジア侵略 2-1 明治政府の対外政策 2-1-1 幕末,明治の人々と朝鮮・中国 明治政府の対外政策といった場合,それは,まずはロシアに対してであり,中国に対してであった。それは,前記した明治政府の国境画定作業時における,北方の島々の帰属を巡る,ロシアとの交渉,そして,同じく,南方の琉球の帰属を巡る中国(清国)との確執であった。 しかし,明治政府が最も重視していたのは,朝鮮国との関係であった。それは,明治政府成立時から始まった,「征韓論」をめぐる対立となって現れたし,1875年の「江華島事件」として、朝鮮国に対する侵略の第1歩ともなったのである。明治初期からの,朝鮮国に対する,日本政府の政策は,その後の日本の東アジア政策の第1歩であり,典型としても現れたのである。
しかし,明治政府の対朝鮮政策を見るときに,欠かせないのは,明治維新をになった,幕末の薩摩,長州の倒幕派の思想である。まずは,彼らの朝鮮,中国観から見てみたいと思う。
幕末の尊王攘夷派の思想的指導者であり,今も日本人の多くから尊敬されている吉田松陰は、1856年、弟子で長州尊皇派の若手の中心人物、久坂玄瑞の「外国の使者は切るべきである」との主張に対して,「徳川氏が,アメリカ,イギリスと和親条約を結んだ今,これを日本から破るべきではない。それよりも,この条約をしっかりと守り,アメリカ,イギリスがおとなしくしている間に,北海道を開拓し,琉球を日本のものとし,朝鮮を攻めて日本の領土とし,満州,中国を支配し,インドまで日本の勢力を伸ばし,日本の繁栄の基本を固めるべきである。こうすることは,神宮皇后や豊臣秀吉がやろうとしてできなかったことをすることである。」とのべている。
この松陰の思想には,朝鮮,中国といった隣人に対する思いやりなど微塵もない。あるのはむき出しの自国の利益とそのための侵略思想である。松陰だけでない。明治日本の思想的指導者であり,近代教育の祖ともいわれ,現代日本のお札のモデルにまでなっている福沢諭吉は1885年(明治18年)3月16日 「時事新報」に掲載された論説の中で次のように述 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
|
网友评论:日本近現代史(日文)之六(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
|
|
|
|