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ギリスにも日本の勝算は計算されてはいなかった。重要なことは、ロシアに対する壁を一時的にも作ることであった。それは不可能なことではなかった。ロシア国内の情勢が不安定であったことと、ロシアにとって満州はあまりにも遠かったからである。ここに至ってイギリスは「名誉ある孤立」政策を捨て、日本との同盟を結んだのである。
戦争への道は切り開かれたのであった。
コラム 日英同盟 -------------------------------------------------------------------------------- 日英同盟によって、日本はロシアとの戦争に道を開くことができたのであるが、決して、日本政府主脳が一致して、開戦を目指していたわけではない。特に、明治政府の中心人物であり、維新の元勲の一人、伊藤博文は最後まで反対であった。彼は、ロシアとの協調路線を主張した。ロシア協調により、朝鮮、満州を共同支配、開発し利益を分配してゆく方が、日本にとって利益があるとみていた。しかし、この対ロシア協調路線はイギリスにとっては脅威であった。日本とロシアが手を結ぶことによって、中国での権益を分配すれば、イギリスの利益を損ねるおそれがあったからである。
ここにイギリスの強力な日本に対する運動が起き、それに乗ったのが対ロシア強硬派の小村寿太郎であった。国内の反ロシア感情を後ろ盾にした小村らの勢力にさすがの伊藤も敗れ、日本は日英同盟と対ロシア戦争へと向かったのである。もし、伊藤らの政策が日本の路線となったならば、日露戦争はなく、それ故に「日露戦争は、祖国防衛戦争」などというプロパガンダも消滅していたはずである。
2-1-7 日露戦争 日本近代史上有名な日露戦争は、世界史的に見ても大戦争であった。1904年に始まる、20世紀最初の戦争であるとともに、歴史上最大の戦争でもあった。1914年に始まる、第1次世界大戦までは、日露戦争は、次々に新兵器が使われた最初の近代戦争でもあり、最初の近代海軍の大海戦が行われた戦争でもあり、100万以上の兵士が投入された最大の戦争でもあったのである。しかし、この戦争は計算され尽くした戦争でもあった。なぜならば、日本にとって、決して勝てる戦争ではなか << 上一页 [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] ... 下一页 >>
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