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ろ、一方的に攻撃されたので、仕方なく攻撃した。」と発表した。翌年、1876年(明治9年)1月15日。日本政府は"黒田清隆"を全権代表とする、派遣団を造り、軍艦5隻で朝鮮国に向かった。まず、釜山港に入港すると、毎日大砲をぶっ放し、その後、江華湾に向けて出発した。江華湾につくと、前年の"事件"について、話し合いをしたいと朝鮮政府に申し入れ、話し合いをしないならば"兵隊3000名"を上陸させる。その後も数倍の軍艦と兵隊が続いてくる"と脅した。びっくりした朝鮮政府は、話し合いに臨み、2月26日、日本政府が要求した“日朝修好条約”を結んだ。
これが,史上有名な「江華島事件」のあらましである。この事件を見ると,日本に対してアメリカ艦隊が行ったことにそっくりである。それもそのはず,日本政府は,アメリカ艦隊司令官ペリーの日記を読んで,それをそのまま真似たのである。近代における日本と朝鮮の不幸な関係はまさにこの事件に始まったのである。
この時に日本が朝鮮国に押し付けた日朝修好条約のなかみは,これまた,アメリカが日本に押し付けた,不平等条約、日米修好通商条約と同じであった。朝鮮国側には,関税自主権がなく,朝鮮国における日本人の犯罪を裁く権限もなかった。日本は,アメリカにされたことを朝鮮国にやり返したのである。ただ,この条約は,その第1条で,「朝鮮国は独立国であり,日本国と平等の権利を持つ」と規定し,朝鮮国に対する,清国の優越権を否定させたのである。この事は,日本がその後,朝鮮を植民地化する意図を明白にしたことを示しており,日清戦争へと続く道をも自ら示したのである。この様にして,日本政府は,朝鮮国を開国させると,以後,朝鮮国に対する執拗な干渉を始めたのである。
開国後の朝鮮には,日本商人が押し寄せた。彼らが求めたものは,朝鮮の米や大豆であった。日本よりも安い,それらを買い求めた商人達は,これを日本に持ちこむことによって,利益を得たのである。日本人商人による,朝鮮の米,大豆の買占めは、朝鮮のそれの価格を上昇させ,朝鮮民衆を飢餓に追い込んだ。また,日本人商人の傍若無人な行いは朝鮮民衆の怒りを買った。民衆の怒りは,日本政府に面従する、朝鮮政府とその中心人物、閔妃一派に上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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