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むかった。反対勢力は、国王の実父である大院君を押し立てて,反乱を起こした。壬午軍乱である。反乱軍は,首都ソウルの日本公使館を襲った。これに対して,日本政府は軍隊を送り鎮圧した。また,清国も朝鮮政府の要請にしたがって派兵した。この事件以後,朝鮮政府は清国に接近し,日本と清国の朝鮮を巡る対立が深まっていったのである。朝鮮国における,清国の優位を覆そうとした日本政府は,朝鮮国内の親日勢力“独立党”を影で支援し,クーデタを起こさせようとした。独立党の指導者であった金玉均、朴泳孝らを日本に留学させ,洗脳したのである。このとき彼らの教育にあたったのが福沢諭吉である。
「朝鮮にも明治維新のような近代革命を起こさなければならない」こう考えるようになった,彼らは,朝鮮においてそれを実行するためのクーデタを起こした。甲申事変である。彼らのクーデタを支えたのが日本軍であった。一時成功したかに見えたこのクーデタも,清国軍に支援された,朝鮮国政府(閔妃一派)に鎮圧され失敗した。この事件で,日本と清国の朝鮮を巡る対立は決定的となり,日清戦争へと歴史は流れていったのである。 朝鮮に出兵した日清両国は、直接の対立を一時避けるために,条約を結んだ。天津において日本代表の伊藤博文と清国代表李鴻章の間で結ばれたこの条約で、両国は,どちらか一方が朝鮮国に出兵する時は,双方が連絡をすることを約束した。天津条約と呼ばれるこの条約にしたがって,日清両国がこの後朝鮮への出兵したことが、日清戦争へと発展することになったのである。日本国内では,朝鮮を巡る清国との対立がたかまるにつれ、清国への対抗心が強まり,一気に好戦気分が高まったのである。
2-1-3 不平等条約改正問題と東アジア侵略の関係 明治政府にとって,対外政策においてのもう一つの大きな問題は,欧米諸国との間に結ばれていた不平等条約の改正問題であった。江戸幕府が結んだこの不平等条約を早急に改正することは,日本が近代国家として発展していくためには欠くことのできないものだった。条約改正交渉は、明治の初年より行われたが,欧米諸国は,なかなか応じなかった。欧米諸国の言い分は「日本がまだ,国家として未熟である」ということだった。欧米諸国と対等な国とはみなされなかったのである。「いっぱしの大人の国」と上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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