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は,イギリスの態度を変化させた。イギリスは,日本の清国への開戦,及び,朝鮮国の支配を条件に条約改正に応じたのである。日本は,清国と一戦交えざるを得なくなったのである。日本政府にはその自信はなかったにもかかわらずである。清国は衰えたりといえども,日本にとっては,大国であった。
コラム ロシア -------------------------------------------------------------------------------- 日本人にとって,ロシアとは幕末以来の「敵国」であった。江戸時代の,択捉,国後両島の帰属を巡る衝突,明治の朝鮮,満州を巡る衝突と戦争,大正時代のシベリア出兵,アジア,太平洋戦争での度重なる軍事衝突と最後のソ連軍の満州侵入。戦後では,北方諸島のソ連占領に始まる,北方領土問題。日本人にとっては,ロシア人は悪しき隣人でしかなかった。今もそうである。だから,日本人は悪意をこめて,ロシア人のことを「ロスケ」と呼ぶのである。しかし、ロシアを本格的に敵視し始めたのは,明治の日清戦争前夜からである。ロシアの南下政策は,日本の脅威であり,日本の領土を脅かす敵であるとの宣伝がさかんに政府によって行われたからである。明治の元勲の一人であり,日本陸軍創設者でもある山県有朋は、帝国議会で「ロシアから,日本領土を守るためには,朝鮮を日本の利益線として,日本の防波堤としなければならない」と述べた。つまり,日清戦争,日露戦争は,ロシアから日本を守る,祖国防衛戦争なのである。この論理が,ロシア憎しの感情を醸造し,戦争を肯定する,民族主義を高めたのである。日本はこの後,1945年の敗戦まで,この論理で,戦争の道を突っ走ることになったのである。
2-1-4 日清戦争 度重なる,日本の干渉にもかかわらず,朝鮮政府は清国への依存を高めたために、日本の影響力は低下していった。貿易においても,日本との貿易は低下していた。このような情勢を打開し,朝鮮国への支配をいっきに高めたいと願っていた日本政府にとって、もっとも有効な政策は,清国との戦争であった。日本政府は,甲辛事変以後、ひそかに清国との戦争の準備を進めた。あとは,きっかけだけであった。そ上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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