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れは,朝鮮国における農民反乱から始まった。
日本をはじめとする諸外国の朝鮮国内への経済的な進出は,朝鮮民衆の生活を根本から脅かした。特に農民層の貧困はひどいものだった。これに対して,朝鮮政府は無策であった。朝鮮農民は東学という,宗教団体を中心に団結し,たちあがったのである。“東学党の乱”とも呼ばれるこの武力蜂起は,全棒準という優れた指導者によって,全国に広がった。反乱軍は,地方の汚職役人,日本人商人と結んで朝鮮農民を苦しめている朝鮮商人,高利貨しなどを襲った。朝鮮政府は直ちに軍隊を送って,これを押さえようとしたが,朝鮮軍の兵隊もまじめに戦わなかったという。民衆の圧倒的支持を得た,反乱軍はいっきに首都ソウルに迫ったのである。
恐れおののいた朝鮮政府(閔妃一派)は、清国に助けを求めた。これに応じて,清国は朝鮮に出兵した。チャンス到来である。天津条約に基づいて、報告を受けた日本も同時に朝鮮に出兵した。朝鮮国内に日清両軍が合い対峙することになったのである。日本軍は直ちに,農民反乱軍を鎮圧すると,指導者 全棒準を逮捕し処刑した。こうして,農民反乱は日本軍によって,壊滅さえられてしまったのである。農民反乱は収まった。しかし,日本軍も清国軍も朝鮮から退去しなかった。このチャンスを逃してはならない。何とかして,清国軍と戦端を開き,これを打ち破らなければ,日本の朝鮮支配の道は開けなかった。日本政府のとった戦略はこうであった。日本軍は,朝鮮国の内政改革を求める要求書を朝鮮国政府につきつけたのである。これが受け入れられないことは明白であった。口実を作るためであった。この要求が拒否されると,朝鮮王宮を急襲し,閔妃一派を追い払い,国王の実父、大院君を王座につけたのである。こうして,傀儡政権を作ると,朝鮮国政府の名において,清国軍の国外退去を要求させたのである。もちろん,このような無謀な日本政府の策略に、清国は軍隊の退去を拒否した。
日本軍はここに,清国軍を攻撃する口実が生まれたのである。「朝鮮国政府の退去要求を無視して,朝鮮国内にとどまる,清国軍を朝鮮国政府の要請によって攻撃する」のである。1894年7月25日、豊島沖に停泊する清国艦隊を日本海軍が攻撃,陸上では、牙山に駐屯していた清国軍を陸軍が急襲した。8月1日には上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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