|
|
|
|
1-3 自由民権運動と大日本帝国憲法 1-3-1 自由民権運動のはじまり 明治維新は革命かクーデタかという論争は日本では長い間結論を得ないでいる。革命であると主張する人々は、徳川封建体制を崩壊させ、近代日本を開いた近代市民革命であるとし、イギリス、フランス、アメリカのそれと並べて評価している。クーデタであるとする人々は、徳川封建体制を崩壊させたことは評価するが、欧米のそれと比べた時に、民主主義社会の基本となる、人権や民主政治が実現されなかったことや薩摩、長州出身者による専制政治が続いたことにより、近代市民革命ではないとしている。この論争への答えは、維新とともに起きた、日本の最初の大民衆運動であった自由民権運動にあるといってもいいだろう。
明治維新を成功させた大きな要因は、①外圧に対抗して、欧米に負けない近代国家を作ろうとした、国民各層の危機意識 ②徳川封建体制のもとでの様々な抑圧に対する民衆の不満 ①は徳川封建体制下で成長した商業資本の近代的産業資本への転換の欲求である。この中でも、広く民衆の中にあったものが②の自由への欲求であった。薩摩、長州の官軍は民衆にとって解放軍であったし、それは、重税からの解放や身分制度からの解放を意味した。だからこそ、新政府は、最初に「五箇条のご誓文」を出し、来るべき日本を民主的で自由な社会にするといった約束を民衆にしたのである。明治維新とは、坂本竜馬も「船中八策」の中で述べたごとく、近代国家日本の創造であった。それは、国民の自由と民主的権利が確立した欧米の国々の姿であった。
しかし、現実はどうであったろうか。新政府は、富国強兵・殖産興業の掛け声のもと、産業、軍隊、教育の近代化を行い、欧米の文化の移入は行ったが、肝心の国民の自由と民主的権利の確立には無関心だった。日本国民には相変わらず、参政権はなく、様々な権利も認められなかった。しかし、明治維新によって外国に開かれた日本には、欧米先進国の政治思想が大量に流れこんでいた。欧米近代国家の制度を知った人々の中に、国民の自由と民主的権利を実現するためには、欧米のように「憲法と国民議会」がなくてはならないとの声が起こるのは当然のことであった。その声は、新政府に不満を持っていた人々の [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
|
网友评论:日本近現代史(日文)之四(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
|
|
|
|