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て、明治に花開き、部落民の解放を求める部落解放運動も後に広がりを見せるのである。また、民権運動家達は競って、欧米の社会思想を輸入し、学んだが、その進んだ人間解放の思想が日本初の社会主義思想家をも生み出した。
明治という時代は、様々な面でのその後の日本の出発点となったのである。
1-3-2 政党の結成と民衆憲法 政府の国会開設と憲法制定の宣言が出されるとともに、自由民権運動は、来るべき国会開設に向けて、政党結成へと運動を転換させていった。国会において、多数派を構成するためである.板垣は、国会期成同盟を中心として「自由党」を結成し、自ら総理となった.これが、日本最初の政党である。自由党は、フランス革命における人権宣言に基づいた急進的な自由主義をその思想とした.以後、全国の急進的な民衆運動は自由党のもとに結集することとなった.一方、穏健なイギリス的議会制民主主義を主張したのが「立憲改進党」で大隈重信が総理となった.以後、この二つの政党を中心に、憲法制定に向けて憲法私案が作られていった.自由民権運動の中で、最も注目すべきは、板垣を中心とする自由党主流の運動ではなく、自由党に結集した、民衆の運動である。政府の国会開設、憲法制定の宣言以後、民衆レベルでの民権運動は一層の広がりを見せた。それは、「民衆憲法」の作成という形で現れた。民衆は、政府のそれでなく、自らの思いを民衆による自作憲法という形で表現したのである。日本史上、最初の行動であった。
中でも、重要なのは、植木枝盛による、「東洋大日本国国憲案」と東京の多摩地方の五日市で農民達によって作られた「五日市憲法」である。 植木枝盛の憲法私案は、国民の人権を最も重要なものと考え、33条にわたっての人権を保障するとともに、人民の圧制に対する抵抗権と革命権をも認めていた。また、国会は一院制で普通選挙、地方自治を認めた連邦制など、最も進歩的な内容となっていた。
五日市憲法は、若い農民層を中心としたグループによる共同制作であったが、150条にも及ぶ人権条項、立憲君主制、3院制、議員内閣制などをその特徴としていた。このような民衆憲法は、現在までに40案ほど作成されたことがわかっている。 &nb上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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