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---------------------------------- 秩父事件は、日本近代史上、幕末の函館にこもって「北海道共和国」を作ろうとした事件と並んで重要な事件である。秩父の農民達も、天皇制ではない日本の建設を企てたからである。その意味で、第2の「共和国」建設の試みであったといって良いだろう。そのことは、秩父困民党の指導者の一人、大野苗吉が農民達に結集を呼びかけるときに「天皇に敵対するから集まれ」とふれていることからもわかる。憲法私案を作った人々のほとんどが、天皇制を否定できず、立憲主義をとっていたことと比較して、秩父の農民達の思想的レベルの高さを示す事件として興味深い。
コラム 自由新聞の社説 -------------------------------------------------------------------------------- 自由党がいかに、民衆の運動を恐れたかは、秩父事件後に出された、自由党機関紙「自由新聞」の社説に残されている。ここでは、この事件について「この事件は、単に高利貸しと借りたものの紛争にとどまらず、小作人と地主、豊かな者と貧しい者との軋轢にとなり、ついにはそれらの間の戦いにとなる。今これをつぶさなければ恐ろしいこととなる。」とかき、民衆運動が、社会の階級的な対立に発展することを恐れているのである。げんに、地方の自由党員の中には、社会的公正と平等を求める者が出てきていた。自由党の指導層は、富裕な豪農層であり、資産家達であったから、このような運動にはついて行けなかったのは当然である。
コラム 大阪事件 -------------------------------------------------------------------------------- 自由民権運動は,日本最初の自由を求める民衆の本格的な運動であった。しかし,民権運動に参加した人々が,日本以外のアジアの人々に対しても同じように,自由と民主主義を認めたかというとそうではなかった。そのことを良く示した事件が大阪事件である。1885年,自由党内の最も急進的民権派の代表であった大井憲太郎らは、朝鮮政府内に親日的政府を作ろうとして,朝鮮に渡り,クーデタを起こそうとし上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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