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物に過ぎなかったことを良くあらわしているのである。
第1条でそのことはっきりと示されている。「大日本帝国は,万世一系の天皇これを統治す」日本は,天皇が統治するのであり,日本人民が統治するのではないのである。ここには,近代民主主義革命がその第一の目標として掲げた「人民主権」「主権在民」の思想は微塵もないのである。さらに第3条では「天皇は神聖にして侵すべからず」とし,何者も天皇に反対し,逆らうことができなくした。以後,1945年の敗戦まで,いや,現在でも、日本においては,天皇批判は許されなくなったのである。第4条「天皇は国の元首であり,すべての統治権は天皇に所属する」第8条「天皇は,緊急の場合は,議会が閉会中であれば,それに代わって勅令を出すことができる」第9条「公共の秩序,臣民の幸福にとって必要と見とめられる時に,議会に代わって命令を出すことができる」などなど、民主主義とは程遠い内容が続くのである。
さらに重要なことは,第11条で「陸海軍を統帥す」とし第13条では「戦を宣し,和を講じ,および諸般の条約を締結す」として、議会の決定を経ることなく,軍隊の統帥権と宣戦の布告権を天皇に与えてしまったのである。このことが,後の日本軍の暴走を許すことになるのである。
これに対して日本人民の権利はどうであったろうか。居住移転の自由,裁判をうける権利,信教の自由,言論,集会の自由などは一応認められたが,「公共に秩序を妨げず,臣民としての義務にそむかない範囲において」との限定つきであった。 国会は,伊藤の画策したとおり衆議院,貴族院の2院制で、貴族院議員は天皇による任命,、衆議院議員は20歳以上の男子で、高額納税者のみの制限選挙で選ばれた者のみで構成された。
衆議院での決定も貴族院の承諾なしには成立し得なかった政府は、憲法制定前にこれも伊藤の画策で,太政院制を改め、内閣制に移行していたとおりに,内閣制で、総理大臣および,各省大臣は天皇の任命制とした。
このように,この憲法は,自由民権運動の中で民衆が求めた、人民の自由な権利と人民主権の民主主義とは程遠く,天皇主権による,天皇の権力を借りて,維新以来の薩摩,長州勢力の権力を最上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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