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これを容認した日本政府の政策を第2次沖縄処分と呼んでいる。1972年に日本に返還されるまで、沖縄はアメリカの世界戦略の重要基地として利用され、返還後もアメリカ軍基地はそのままにされ、苦悩は続いている。
コラム -------------------------------------------------------------------------------- 北海道東部の島々についての、ロシアと日本の領土問題は、現在も「北方領土問題」として続いている。明治初期にロシアとの間に結ばれた、千島、樺太交換条約はこの問題でのロシアとの最初の条約であり、その後の、いくつかのこの問題に関するロシアとの条約とともに、現在の北方領土問題を考える時の重要な史料となっている。
1-2-4 不平士族の反乱 様々な問題を抱えながらも、明治新政府は着々と新生日本の建設を進めていった。しかし、それにもっとも不満を抱いたのは、旧武士階級の人々だった。彼らは、江戸時代までの禄(給料)を失い、国民皆兵の徴兵制によって、軍事力としての特権も失ってしまった。髷を切り、刀をはずした彼らは、もはや「ただの人」でしかなかった。生活の困窮と自負心の喪失は、政府への不満となって爆発した。1874年の佐賀の乱に始まり、熊本の神風連の乱、福岡の秋月の乱、山口の萩の乱と不平士族の反乱が続いたが、もっとも有名で最大の反乱は、明治維新成功の第1の立役者であり、政府軍総司令官でもあった、西郷隆盛が起こした、西南戦争である。 長州と並んで、明治維新を成し遂げた薩摩では、その主力となった薩摩藩の武士たちの間で不満が高まっていた。彼らにとって、倒幕とは徳川家に代わって、薩摩藩が天下を取ることであった。ところが、新政府は廃藩置県によって、薩摩藩そのものを消滅させてしまった。それだけではない。倒幕の功労者である薩摩武士の禄を奪い、刀までも奪おうとしたのである。
何のための戦いだったのだ。薩摩藩の武士たちの間にはこのような思いが充満していた。薩摩武士たちのとった行動は、新政府の方針に従わないことだった。皮肉なことに、新政府の中心には、薩摩出身の大久保利通、西郷隆盛がい上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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