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動へと発展していった。
大日本帝国憲法の成立とそれに伴う、帝国議会の設立がなされ、参議による専制政治が終了しても、歴代首相や大臣の顔ぶれは、薩摩、長州出身者が圧倒的に多く、戦後政治においても、薩摩閥、長州閥という形でそれは継続した。
1-2-2 新政府の政策 明治新政府の政策は、大別すると2つに分けることができる。第1は「江戸時代の旧体制の破壊」であり、第2は「新制度の創設」である。
第1にあたる政策は、まず版籍奉還である。これは、江戸時代までの大名達の領地と人民を朝廷に返させたことである。これに続いて廃藩置県が行われた。江戸時代の日本の大部分は300ほどの大名が領地としていて、そこでは大名による自治が認められていた。徳川の将軍も自らの領地を持ち、そこからの税によって生活していた。基本的には、将軍といえども、各藩の政治には干渉しなかった。もちろん、幕府に反抗したり、法令に違反したりした場合は、藩の取り潰しなど、厳しい処罰が行われた。地方分権的なこの仕組みをこわし、明治政府を中心とする中央集権制の仕組みを作り上げたのが、廃藩置県である。藩は廃止され県とされ、大名達に代わって、中央政府派遣の県知事がそこを治めることになった。次に行われたのが、身分制度の廃止である。江戸時代の日本は、士農工商という4身分によって国民は分けられていたが、これを「四民平等」の掛け声のもとに廃止した。しかし、実際には旧大名、公家といった上級身分のものは華族、武士だったものは士族、それ以外の下級の一般の者を平民とよび、それらの新身分間の結婚を認めたり、職業選択の自由や、居住、移転の自由やすべての国民が姓を名乗る権利を認めたりした。しかし一方で、華族、士族身分のものには、国家から家禄として、給与を支給した。
これは、それらの上級身分のものが、それまで大名や朝廷から給与を支給されていたことにたいする配慮であった。版籍奉還によって、大名達は生活手段を失ってしまったからである。
後に政府のこの配慮は財政的に大きな負担になり、給与支給の廃止(秩禄処分)がおこなわれ、特に士族階級の困窮を生むことになり、明治政府への士族の不満から、士族反乱へと発展していくこととなった。
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