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> 四民平等は、江戸時代に最も虐げられていた人々、賎民身分の人々にも及んだ。エタ、非人と呼ばれ、人間以下の存在とされてきた人々も平民とした解放令は明治政府の革命的政策といっていいだろう。しかし、実際には、それらの人々に対する差別はなくならず、部落民とよばれた彼らを真に解放するための戦いがその後民衆レベルでおこるのである。
第2の新制度の建設こそ、明治新政府が近代日本の建設を目指した政策である。その第1が地租改正である。江戸時代までの税制を改正し、新しい税制を確立したのである。
江戸時代の日本は基本的に米経済であり、米本位制度であった。農民は米で税を払い、武士は米で給料をもらった。税は米の収穫量の約2分の一で、その高は、米を産する田の広さと質によって決定されていた。しかし、それでは毎年の気候変化による収穫量の変化によって、税収が増減した。また、米を貨幣に交換しなければ実際に使うこともできなかった。これを、毎年決まった額での金納としたのが地租改正である。税額は、所有する田畑の地価の3%とし、それを貨幣で納めるものとした。この近代的税制は農民層の反発を招いた。農民にとっては実質的な増税だったのである。
新政策の第2が富国強兵政策である。幕末の尊皇攘夷派の人々が倒幕派になってから目指したのがこの政策である。日本を欧米列強に負けない国にするためには、工業を発達させ、強力な軍隊を創設しなければならなかった。そのためにまず、国民がすべて兵となる国民皆兵制による徴兵制度の確立が必要であった。1872年明治政府は徴兵令を発し、20歳以上の男子すべてに兵役の義務を課した。また、日本の全国4箇所に鎮台を設け、そこに常備軍を置くともに、陸軍省、海軍省をつくり、日本の近代軍制を確立した。以後、徴兵によって集められた庶民軍によって、明治新政府は数々の反乱を押さえることに成功するのである。 この政策のもう一つの富国政策は、それほど簡単ではなかった。まず、日本には近代的な工業など一つもなかったし、その手前のマニファクチュァ段階の工業ですらほんの少ししかなかったのである。これをいっきに欧米並の工業国にすることは困難であった。資本も技術もない日本にとって、できることは政府主導による工業化であった。政府は積極上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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