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的に外国の技術者を招き、その進んだ技術を学び、政府出資による国営工場を作り、これを民間に対しての模範工場とした。国営工場はまず、強兵政策との関連から、軍需工場を中心とし、造船所、製鉄所、砲兵工廠が作られた。次に、民間工業としては当時の唯一の工業といえた生糸の制糸工場が国営で作られた。その代表的なものが群馬県に作られた富岡製糸工場である。こうして、政府主導によって、日本の近代工業は少しづつ成長を始めたのであるが、このように、後発の工業国が急速な工業化を図るつねとして、国営による軍需工業をその中心に据えたことが、後の軍国主義化と侵略戦争への歴史を歩ませることになったことの大きな原因ともなった。
新政策の第3が学制と呼ばれる教育改革である。近代工業の発達のためには、優秀な労働者層が必要である。それは近代的軍隊にとっても同じである。文字の読み書きができ、計算ができることは、近代的な工場や軍隊で機械を扱い武器を扱うには絶対に必要なことである。また、国民の教育水準の向上は、技術の発達をもたらし、文化、芸術の発達とともに、近代国家としての様相を作り上げるには必要なことであった。政府は、文部省を作ると欧米に習って6歳から12歳までのすべての男女は6年間学校に通わなければならないとする義務教育制度作り、全国に小学校を建設した。また、エリート層の育成のために大学も作られ、1877年には東京大学が作られた。しかし、義務教育といえども無料ではなかったこともあり、就学率は、明治の後半になるまではなかなか向上しなかった。
新政策の第4は、日本人の社会生活の根本的改革であった。江戸時代まで長い間、日本人の中に生活習慣として根付いていた、様々なものを欧米的なものへと変えようとしたのである。
文明開化政策と呼ばれるこの政策は人類史の中でも例のないきわめて特異なもので、その後の日本人の社会生活と意識に大きな影響を与えることになった。様々な生活改革の中でも特異なものは食生活と衣服、髪型の改革である。日本人は江戸時代に肉食文化をほぼ失い、野菜、魚、米を中心とした食文化を形成していた。肉食、特に四足の動物を食べることは穢れとし禁止されていた。それが「牛鍋を食べることが進んでいる」とされ、さかんに肉食をするようになったのである。髪型については、日本人伝統の髷を切上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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