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り、欧米風の髪形をするようになった。髪形については、男子に断髪例まで出したほどであった。
衣服も和服よりも洋服、履物は下駄、草履から革靴へと変化していった。しかし、これらの改革はすべて「欧米風が進歩的」で、日本の伝統的なものは、「古臭い、遅れたもの」との考えに基づいており、その後の日本人の100年以上にもわたる「欧米コンプレックス」の原因ともなった。日本人は今もこの観念から少しも逃れることができないでいるのである。
生活改革は、その他に太陽暦の採用や欧米式の郵便制度の導入、西洋建築物の建設、ガス灯、そして、横浜、新橋間の鉄道建設などと進み、日本人は一歩一歩、欧米的な生活習慣を受け入れていったのである。
コラム 皇民化教育 -------------------------------------------------------------------------------- 後発の工業国が、近代国家形成を図るときに力を入れるものが、国営の軍需工場と学校である。特に、学校は重要である。義務教育によって6歳から学校に集められたすべての児童に対して国民としての意識が植えつけられるからである。日本においては、それは皇民化教育という形を取った。すべての日本人は天皇の臣民(家来)であるとする意識を叩き込んだのである。その結果、日本人は天皇のためと、お国のためが同じこととなり、個人として生きることよりも、まず、国のために生きることがもっとも尊いという価値観を持つことになってしまった。欧米列強に追いつき追い越せという国家目標を持った明治の政治家たちにとっては、このような国民こそが発展にとって必要だったのである。日本は、このような国家にとって極めて都合のよい国民達によって、短期間のうちに工業を発達させ、強力な軍隊を持つにいたり、世界の軍事大国としてのし上がっていったのである。明治を開いた人々が天皇を巧みに利用したことが、ここにも大きな効果をもたらしたのである。学制によって、天皇制は国民のすみずみまで行き渡ったのである。
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