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て問題を起こしていた。琉球列島には、独立国「琉球王国」があった。しかし、これは、17世紀前半の鹿児島、薩摩藩による侵略支配によって、薩摩の植民地化されていた。小笠原諸島はアメリカとイギリスが領有を宣言していた。明治政府にとって、日本国の領土は、北は北海道と、千島列島であり、南は琉球列島まであった。北の領土とそれを示す国境線の画定はロシアとの間で進められた。1875年北部の国境は、ロシアとの樺太千島交換条約の締結によって画定された。
これにより、北海道、択捉、国後島を含む千島列島が日本領となり、樺太島がロシア領となった。 日本政府の北海道への本格的支配が行われるのはこの後であり、アイヌ民族の人々の悲劇がこの後起きることとなった。小笠原諸島は、アメリカ、イギリスの政策変換によって、日本領と認められた。しかし、琉球王国については、そう簡単ではなかった。琉球王国は形式的には独立国であり清国と朝貢関係にあった。清国と日本の間で問題が起きる可能性があった。
日本政府は、1872年に琉球王国を一方的に藩として、琉球王“尚泰”を藩主に任命した。こうして、琉球を日本の一部にすると、1874年に台湾に出兵した。これは、1871年に琉球の漁民が嵐で台湾に漂着した際に殺されたことに対して賠償を求めるという口実だった。
日本軍は圧倒的な兵力で台湾の一部を占領した。これに対して、清国は自国の領土と国民が侵されたとして抗議したが、結局、イギリスの仲介で日本との全面対決を避け、「日本の台湾出兵は、自国民を保護するための当然の行動であった。」として、賠償金を払った。
日本はこの、琉球民を日本国民と認めた、清国の声明を受けると琉球に警察隊を送り、琉球藩への廃藩置県を強行した。こうして、琉球は、沖縄県となり、正式に日本の一部とされたのである。これ第1次沖縄処分と呼ぶ。北海道のアイヌ民族の人々と同様にこの後、沖縄の人々の苦悩が続くこととなった。
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