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使を置くと、北海道の開拓に乗り出した。その主力は、戊辰戦争で破れた東北の諸藩の武士や職を失った武士たちであった。これらの人々を送りこむとともに、アイヌにそれまでの民族的な習慣を止めさせ、名前も日本人風に変えさせた。民族融和政策と呼ばれるこの政策によってアイヌの人々は伝統的な文化を破壊され日本人化されてしまった。また、北海道の土地も国有地か開拓民の土地として登録されると、地租が課せられた。アイヌ民族にはもともと農耕の習慣がなかったため、土地所有の観念がなかった。土地は狩猟、採集生活のための大切な共有地(縄張り)であった。そこが、国や開拓民の所有地となったために、自由に使用できなくなり、生活の糧も失ってしまった。秋に遡上するサケすら自由に取ることができなくなってしまったのである。その川が国有地にされたからである。こうして、アイヌの人々は文化を失い、生活の糧を失い、貧困と絶望の淵に落とされていったのである。追い討ちをかけたのは、そのようなアイヌに対する、日本人の差別であった。アイヌのことを、政府は「土人」と呼び、アイヌに対する法として「旧土人法」を作った。また、北海道では、民衆はアイヌがとおると「あ、いぬ(犬)だ」とからかって差別した。アイヌ差別に対して、日本人が気づき、解決に乗り出したのは、つい最近のことである。
コラム 沖縄処分 -------------------------------------------------------------------------------- 第1次沖縄処分によって、無理やり日本に帰属させられた沖縄の人々は、その後、日本への融和策によって、日本人化されていった。ただし、アイヌと違い、沖縄のことばが比較的日本語に近かったことや(原日本語といわれる)貿易国家として、様々な文化を受け入れていたこと、長い間の薩摩支配があったことなどから、その文化が根底から破壊されることはなかった。しかし、日本人としての自覚を持たせるための、皇民化政策は、日本の他地域よりも強力に行われた。そのことが、後のアジア、太平洋戦争での大量戦死者を生む原因ともなった。
第2次大戦後、沖縄はアメリカの占領地として長く、アメリカ政府の施政下に置かれることとなったが、上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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