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、下関は占領されてしまった.この2つの戦争は、薩摩、長州をはじめとする尊皇攘夷派に大きな影響を与えた.長州では、下関戦争の敗北と京都での敗北、続く第1次長州征伐によって、尊皇攘夷派の勢力は力を失ってしまった.しかし、高杉晋作らの残った尊皇攘夷派の人々は、この敗北からしっかりと次の戦略と展望を作り出したのである.彼らが学んだことは「攘夷は不可能」ということである.圧倒的な軍事力を持つ外国(列強)と戦って、日本を彼らの支配から守ることはできない.となればどうすればいいのか.日本を彼らのような強力な軍事力と経済力を持つ国にすることである.こうしなければ日本は彼らの植民地にされてしまう.日本の近代化こそが今必要なことである.ここに、明治以後の日本の道が開かれたのである.
高杉たちが考えたことは.同じようにイギリスに叩きのめされた薩摩の攘夷派にも同じであった.薩摩の西郷隆盛、大久保利通がそうである。日本の近代化を急がなければならない.かつて、尊王攘夷派の天敵であった幕府の安部正弘、井伊直弼が考えた地点にやっと彼らも到達したのである.もちろん、幕臣の中にもそう考える者はその後も多くいた.いや、この時点で、いまや、徳川の封建体制で日本が存続できると考えたものなどいはしなかった.問題は、誰がどのようにして日本を近代化するかであった.
長州の高杉らの考えたことは、自分たちがその中心になるということだった.そのためには、徳川幕府を倒すことが必要であった.「倒幕」というスローガンがここにいたって登場するのである.尊皇攘夷から尊王倒幕へと運動は大きく方向転換していったのである.それはまさに、コペルニクス的転換とも言うべく180度の転換であった.
コラム 高杉晋作と奇兵隊 -------------------------------------------------------------------------------- 長州尊皇攘夷派の中心人物、高杉晋作はある意味で、明治維新を開いた第1の功労者である.だが、彼が今生きていたならば、最大の過激派として恐れられたにちがいない。東禅寺事件を計画し、イギリス人を殺傷したのも彼であるし、関門海峡を通行する外国船を砲撃したのも彼である.この過激さ、無鉄砲さが後に歴史を変えることにな上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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