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これをすれば、幕府による近代化も幕府そのものもなくなってしまうからである.朝廷の命令に従わない幕府、ここに薩摩、長州にとって、倒幕の大義名分ができたのである.倒幕軍は江戸に向かって兵を上げた.これに対して、幕府についた藩兵を中心とする幕府軍も迎え撃つべく西に向かった.
いよいよ内戦の開始である.1868年1月、京都の鳥羽、伏見で両軍は戦端を開いた(鳥羽、伏見の戦い)。戊辰戦争の始まりである.この時点では、まだ幕府軍は薩摩、長州を主力とした倒幕軍(官軍)の数倍の兵力を持っていた.しかし、戦闘は奇兵隊を模範とした近代的軍装と戦法の倒幕軍の前に幕府軍は敵ではなかった.幕府軍総司令官として大阪城に陣を張っていた将軍慶喜は、幕府軍敗北の知らせを受けると、さっさと船に乗り、江戸に帰ってしまった.総司令官を失った幕府軍は総崩れとなり、幕府軍は大敗北となったのである.幕府軍敗北の報が全国に広がると、各地で反幕府の武力蜂起が起きた.それは、下級武士の集団であったり、農民であったりした.また、江戸の町では“ええじゃないか”と踊り叫びながら、金持ちの商人や質屋を襲う民衆が現れ、農村では“世直し”を叫ぶ農民一揆が起きた.
将軍徳川慶喜は江戸に帰ると、朝廷に恭順の意思を示し、自ら隠居してしまった.1968年4月、倒幕軍(官軍)総司令官西郷隆盛は、幕府軍総司令官勝海舟と会談し、江戸城明け渡しが合意され、倒幕軍(官軍)は江戸無血入城を果たした.倒幕軍(以後新政府軍)はその後、東北地方の幕府側勢力との戦闘を続けたが、1869年5月の北海道の函館に立てこもった最後の幕府勢力との戦闘を持って内戦は終了した.
ここに名実ともに、徳川幕府260年の歴史が終わり、明治時代という、近代日本が始まったのである. コラム 徳川慶喜 -------------------------------------------------------------------------------- 15代将軍徳川慶喜は、大政奉還後、諸藩の大名を議員とし、自ら初代大統領となる議会を開こうとした.これは、フランス議会を真似したもので、大統領と議会による共和制を目指したものである.従来、この慶喜の構想を幕府と将軍の生き残り策とす << 上一页 [11] [12] [13] [14] [15] [16] 下一页
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