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> コラム 横浜金鉱物語 -------------------------------------------------------------------------------- 開国当事、外国商人の間に、「横浜には金鉱がある」といううわさが流れた。これは、横浜に行けば金が手に入るといううわさである。事実であった。当時の幕府には国際貿易の知識が無く、ましてや国際通貨についての知識など皆無であった。金と銀の交換比率の国際的基準など知らなかった日本人は、1:15であった国際基準よりもはるかに高く1:5という日本基準で金銀を交換してしまった。気づいた時には大量の日本金貨(小判)が海外に持ち出されていた。
1-1-4 尊王攘夷運動と安政の大獄 幕府の開国政策による国内の混乱と、不平等条約への不満は幕府への批判として急速に国内に広まった。その中心になったのが、西南の雄藩といわれた長州藩と薩摩藩であった。これらの藩では、藩政改革に成功し経済的にも政治的にも充実した時期にあった。特に、改革にあたって、身分の上下を問わず、能力のある者を藩政の中心に取り上げたので、優秀な人材が輩出した。これらの人材の中から、明治新政府の中心となる人物がほとんど出たのである。幕府への批判は開国政策への批判であり、それは当然のこととして、それらの混乱の原因を作った外国勢力へと向けられた。「外国を追い払え」…いわゆる「攘夷運動」である。
諸悪の根源は外国にあるというナショナリズムの高揚である。この運動は瞬く間に全国に広がった。もともと黒船来航以来、民衆は開国には反対だったのである。攘夷運動は、幕府が開国にあたって、朝廷の勅許(許可)を受けなかったことから、天皇こそ日本の最大権力者(元首)であるという思想と結びつき、尊王を掲げ、尊王攘夷運動へと発展していった。幕府を批判し、その政策を批判するために、将軍にその位を与える役割を担う形式的には上位にある天皇を持ち出したのである。ここに、1000年の眠りからさめた、新たなる天皇制が近代日本に登場したのである。
天皇が歴史の表舞台に登場したことは、その後の日本の150年にきわめて大きな影響を与えることになっ上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] ... 下一页 >>
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