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第11課 明治維新と近代国家への道
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日本における最大の政変といえば、やはり明治維新でしょう。当時の日本には、坂本竜馬、高杉晋作など、それこそ命がけで、革命に青春を捧げた若者たちがいました。茶髪にピアス、路傍にしゃがんでしゃべくっている最近の若者を見ていると、まさに隔世の感ですが、それはともかく、明治維新とはいったいなんだったのでしょうか。
それは、1853年6月3日午後5時、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に現れ、日本に強く開国を迫った日に始まります。阿片戦争で清朝が敗れたという報せは日本にも届いており、米艦隊と闘ったからといって、とても勝ち目がないことは江戸幕府も知っていました。江戸幕府は対応をめぐって上を下への大慌てです。庶民はどうかといいますと、黒船を見ようと浦賀の海岸に押し寄せ、見物人を目当ての夜店まで出たそうです。この黒船来航をきっかけに、幕府の鎖国政策は崩れ去り、ついに日本にも植民地化の危機が忍び寄ってきたのです。
黒船来航以後、日本では国内は開国か攘夷か、佐幕か討幕かをめぐって分裂し、血なまぐさい幕末動乱期に突入しました。幸いなことに、イギリスは阿片戦争後の中国民衆の反英闘争、太平天国の乱、インドのセポイの乱の鎮圧に武力を割かざるをえず、列強間の対立にも助けられ、日本は辛うじて植民地化の危機を免れたのですが、このとき、もし日本で明治維新が成功していなければ、東アジア全域が欧米列強の植民地にされていた可能性も否定できません。
明治政府が成立(1868年)し、日本は富国強兵・殖産興業政策を柱として近代国家への道を歩み始めました。そのときの意気込みは、「五か条の誓文」(明治天皇)からもうかがえます。
五箇条の誓文(現代語訳) 一 衆知を集め、天下の政治はその意見に従え。 一 上下の人々が心をひとつにして、いよいよ国家を富ませよ。 一 公家・武家は一体となり、庶民までおのおの志を遂げられるように [1] [2] 下一页
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